
寺院
大隅国分寺跡は鹿児島県国分中央にある寺院。名称、所在地、由緒を分け、厄除け・道開きの信仰文脈から地図でたどれる。
30秒でわかる
大隅国分寺跡は鹿児島県国分中央に位置する寺院です。所在地、由緒、周辺に伝わる信仰の文脈を入口に、鹿児島県の土地との結びつきを地図とグラフで確認できます。分類は検索補助として扱います。
大隅国分寺跡(おおすみこくぶんじあと)は、鹿児島県霧島市国分中央に所在する寺院遺跡。天平十三年(741 年)の聖武天皇国分寺建立詔に基づき大隅国に建立された国分寺の遺構で、国指定史跡。
所在は鹿児島県霧島市国分中央三丁目 6。霧島市(旧国分市)中心市街地の南東部に位置する。遺構は霧島連峰南麓の鹿児島湾(錦江湾)に面した平野部にあり、近隣には大隅国一宮の鹿児島神宮(霧島市隼人町)、鹿児島神宮社家ゆかりの隼人塚(はやとづか、国史跡)などがあり、大隅国府周辺の古代律令祭祀景観を構成する。
本来の本尊は釈迦如来。聖武天皇の国分寺建立詔(741 年)に基づき、本来は金光明四天王護国之寺として釈迦三尊と四天王を本尊構成とする。現状は遺跡として保存され、近世以降に建立された供養塔・五輪塔群が残る。
天平十三年(741 年)の聖武天皇国分寺建立詔を奉じ、大隅国の国分寺として建立されたと伝える。発掘調査により、金堂・講堂・塔・南門などの伽藍跡が確認され、奈良時代後期から平安時代前期にかけて機能したと推定される。中世以降に荒廃し、現状は礎石・塔心礎などの遺構と中世以降の五輪塔・宝篋印塔群が残る。昭和 24 年(1949 年)に国史跡に指定された。
遺跡として保存されるため定例祭礼は持たない。霧島市による文化財保護管理のもと、地域史跡として継承される。
大隅国分寺跡 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
大隅国分寺跡の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
大隅国分寺跡(国指定史跡)— 国指定文化財等データベース
機関資料文化庁 国指定文化財等データベースによる大隅国分寺跡(鹿児島県霧島市)の史跡登録情報。指定年月日・所在地を institutional 一次情報として記録。
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/2971大隅国分寺跡 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
大隅国分寺跡の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q11441744 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9A%85%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E8%B7%A1