
寺院
羅漢寺を耶馬溪の岩山と寺院景観から整理する。
羅漢寺(らかんじ)は、大分県中津市本耶馬渓町に所在する曹洞宗の寺院。耶馬溪(やばけい、国指定名勝・耶馬日田英彦山国定公園)の奇岩・羅漢山の岸壁に懸造(かけづくり)で建てられた中世以来の山中寺院で、無漏窟(むろくつ)と呼ばれる岩窟内部に約 3,770 体の石仏群を有する独特の寺院景観で知られる。山号は耆闍崛山(ぎしゃくっせん)。
所在は大分県中津市本耶馬渓町跡田 1501。大分県北部、九州を東西に走る耶馬溪渓谷の中央部、山国川に面する羅漢山(標高 286 メートル)の岸壁に立つ。本堂・無漏窟・千体地蔵堂など堂宇は岸壁に張り付くように懸造で建てられ、リフトまたは登山道で山頂まで上る独特の参詣動線を持つ。耶馬溪の奇岩景観の代表例として近世以来「青の洞門」(耶馬溪の交通路、菊池寛『恩讐の彼方に』の舞台)と並ぶ景勝地として知られる。隣接の青の洞門・競秀峰(きょうしゅうほう)と一体の耶馬溪景観を成す。
本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。最大の意匠は無漏窟(むろくつ)と呼ばれる岸壁の岩窟内部に安置される約 3,770 体の石仏群(五百羅漢、千体地蔵、千体仏等の総称)で、日本最古最大級の石仏群として国指定重要文化財に指定。中世以来「九州第一の石仏霊場」と称される。同じ大分県の国東半島六郷満山の富貴寺(豊後高田市)・両子寺(国東市)と並ぶ大分の山岳仏教霊場の系譜に連なり、岩窟・岸壁・石仏を組み合わせた山岳信仰の独自表現を担う。
寺伝では大化元年(645 年)にインド僧法道仙人(ほうどうせんにん)の開創、または天平年間(729-749 年)の行基菩薩の中興と伝えられる。確実な記録は鎌倉時代末期の延元二年(1337 年)に円龕昭覚禅師(えんがんしょうかくぜんじ)が当地で曹洞宗の修行を行い、無漏窟の石仏造立を始めたとされる。室町期から戦国期にかけて石仏造立が続き、現存約 3,770 体の壮観な石仏群が形成された。大友氏のキリシタン布教期(16 世紀後半)と豊薩合戦(天正十四年・1586 年)でも被害は限定的で、近世以降は耶馬溪の景勝地として参詣者を集めた。明治の廃仏毀釈の影響を受けつつも、石仏群は奇跡的に現存。昭和三十三年(1958 年)に国指定重要文化財に指定された。
4 月のお花まつり、8 月の盆供養、11 月の耶馬溪紅葉まつりが主要法要・行事。年間を通じて山岳石仏霊場として参詣者・観光客を集め、近隣の青の洞門・競秀峰と一体の耶馬溪観光ルートの中軸を担う。
羅漢寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
羅漢寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
羅漢寺 公式・公的由緒資料
機関資料羅漢寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
羅漢寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
羅漢寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q3418038 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E6%BC%A2%E5%AF%BA_(%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%B8%82)羅漢寺 地域資料・百科資料
二次資料羅漢寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。