
寺院
東京都港区高輪に位置する曹洞宗江戸三ヶ寺の一。慶長十七年(1612 年)徳川家康創建、赤穂義士四十七士の墓所で知られる。
泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪二丁目に位置する曹洞宗の寺院。正式には「萬松山泉岳寺(ばんしょうざんせんがくじ)」と称する。本尊は釈迦如来。慶長十七年(1612 年)徳川家康が今川義元の菩提を弔うために門庵宗関を開山に迎えて創建した江戸曹洞宗の中心寺院で、青松寺・総泉寺と並ぶ「曹洞宗江戸三ヶ寺」の一。元禄十六年(1703 年)以降は赤穂事件の浪士四十七士の主君浅野内匠頭長矩および義士の墓所として広く知られる。
所在は東京都港区高輪二丁目 11 番 1 号。都営浅草線・京急本線泉岳寺駅から東に約 200 メートル、高輪の高台に位置する。創建時は外桜田の地(現千代田区霞が関)にあったが、寛永十八年(1641 年)の江戸大火を受けて現在地へ移転、徳川家光の命により毛利・浅野・水谷・板倉・朽木らの大名五家が再建を分担し、五大名の菩提寺となった。
本堂の本尊は釈迦如来坐像。境内裏手の義士墓地には浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の墓と、元禄十五年十二月十四日(1703 年)の吉良邸討入りに参加した赤穂浪士四十七士の墓が並び、毎月十四日の月命日には参詣者が絶えない。墓地隣接の赤穂義士記念館・義士木像館には大石内蔵助良雄ら義士の遺品・木像が安置される。
慶長十七年(1612 年)徳川家康が外桜田に創建、開山は門庵宗関。寛永十八年(1641 年)江戸大火で焼失し家光の命で現在地に再建。元禄十四年(1701 年)浅野長矩切腹後にその遺骸が当寺に葬られ、元禄十六年(1703 年)討入りの後に大石内蔵助以下四十六士の遺骸も切腹地より当寺に運ばれて主君の墓側に葬られた。以後、忠臣蔵ものに代表される赤穂事件伝承の中心地として広く知られ、明治以降も曹洞宗江戸三ヶ寺として独立した格式を保つ。
毎年四月一日〜七日の春の義士祭、十二月十四日の義士祭(討入りの日)は当寺最大の年中行事で、四十七士の墓前に多数の参詣者が集う。当日は義士行列が泉岳寺周辺を練り歩き、東京の年中行事の一として広く知られる。釈尊の降誕会(四月八日)・成道会(十二月八日)・涅槃会(二月十五日)は仏教各派共通の三仏忌として営まれる。
曹洞宗 萬松山 泉岳寺 公式サイト
機関資料泉岳寺
曹洞宗江戸三ヶ寺 泉岳寺の本尊・由緒・赤穂義士墓所・赤穂義士祭・年中行事に関する公式情報。
https://sengakuji.or.jp/泉岳寺 - Wikipedia 日本語版
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泉岳寺の慶長十七年家康創建・寛永十八年高輪移転・浅野内匠頭長矩および赤穂浪士四十七士墓所・元禄赤穂事件との関わりに関する二次整理。