
寺院
浅草寺を浅草の観音信仰と都市の門前文化から整理する。
浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草に所在する聖観音宗の総本山。推古天皇三十六年(628 年)の創建と伝えられる東京最古の寺院で、本尊は聖観音菩薩。雷門・仲見世通り・宝蔵門・五重塔・本堂と続く参道は江戸期以来の門前町景観を継承し、年間約 3,000 万人の参詣者・観光客を集める日本有数の参詣寺院である。山号は金龍山。
所在は東京都台東区浅草 2-3-1。隅田川西岸、上野・銀座から地下鉄で約 10 分の都心立地にある。境内は約 1 万坪、雷門(大提灯で知られる総門)から仲見世通り(約 250 メートルの参道商店街、約 90 店舗)、宝蔵門、本堂、五重塔、二天門、薬師堂、影向堂などの堂宇が展開する。本堂東隣に浅草神社(あさくさじんじゃ、三社さま)が隣接し、浅草寺と浅草神社が一体の社寺景観を成す。隣接の伝法院通り・浅草演芸ホールと一体の浅草の都市文化景観を構成し、東京スカイツリー(隅田川対岸、墨田区)と並ぶ東京の代表的観光地として知られる。
本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ、絶対秘仏、像高約 5.5 センチメートルと伝えられる)。脇侍に梵天・帝釈天・四天王。観音菩薩は『法華経』観世音菩薩普門品に基づき三十三身に変化して衆生を救う仏として、中世以来庶民信仰の中心を成した。浅草寺の創建縁起『浅草寺縁起』によれば、推古天皇三十六年(628 年)に隅田川で漁をしていた檜前浜成・檜前武成(檜前竹成)兄弟が観音像を網にかけ、土師真中知がそれを聖観音と判じて自宅を寺としたのが起源で、この三人を「三社さま」として隣接の浅草神社が祀る。坂東三十三観音第十三番札所として近世以来観音巡礼の中軸を担い、京都の清水寺・東山の音羽の滝信仰と並ぶ東日本の観音霊場として位置づけられる。
寺伝では推古天皇三十六年(628 年)の創建。鎌倉時代には源頼朝・北条氏ら武家の崇敬を集め、『吾妻鏡』にも頼朝の参詣記事が頻出する。江戸時代は徳川家康の祈願所として庇護を受け、徳川家光の代の寛永十二年(1635 年)に本堂・五重塔・雷門等の伽藍が整備された。江戸時代を通じて江戸庶民の代表的な参詣寺院として発展、仲見世通り・参道商店街・浅草演芸場等の門前文化が成立した。明治の神仏分離で浅草神社が分離独立、当寺は天台宗から聖観音宗に独立して総本山となった。昭和二十年(1945 年)の東京大空襲で本堂・五重塔等を焼失、戦後昭和三十三年(1958 年)に本堂、昭和四十八年(1973 年)に五重塔が再建された。雷門は慶応元年(1865 年)の火災後、昭和三十五年(1960 年)に松下幸之助の寄進で再建された現在の門。
5 月の三社祭(隣接の浅草神社の祭礼で、当寺周辺も渡御の舞台となる)、7 月 9 日〜 10 日の四万六千日(しまんろくせんにち、ほおずき市)、12 月 17 日〜 19 日の歳の市(羽子板市)が主要祭礼。1 月 1 日〜 3 日の初詣には毎年約 300 万人が訪れ、明治神宮・川崎大師と並ぶ全国三大初詣の一つに数えられる。
浅草寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
浅草寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
浅草寺 公式・公的由緒資料
機関資料浅草寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
浅草寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
浅草寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q615183 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA浅草寺 地域資料・百科資料
二次資料浅草寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。