
寺院
四天王寺を古代寺院の伽藍と大阪の信仰史から整理する。
四天王寺(してんのうじ)は、大阪府大阪市天王寺区四天王寺に所在する和宗総本山の寺院。推古天皇元年(593 年)に聖徳太子が物部守屋との戦いの戦勝祈願に四天王像を奉じて勝利した後、創建したと『日本書紀』に記される日本最古の官寺。中門・五重塔・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」は日本最古の伽藍配置として知られる。山号は荒陵山(あらはかさん)。
所在は大阪府大阪市天王寺区四天王寺 1-11-18。大阪市中心部、上町台地の中央に立ち、JR・地下鉄天王寺駅から徒歩約 10 分の都心立地にある。境内は約 11 万平方メートル、中心伽藍(中門・五重塔・金堂・講堂が南北直線配置)・本坊・庭園・聖徳太子廟・聖霊院などが展開する。隣接の一心寺(浄土宗)・大江神社・愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)と一体の上町台地社寺景観を成し、近隣の天王寺公園・大阪市立美術館・天王寺動物園と合わせて天王寺地区の文化的景観を構成する。
本尊は金堂の救世観音(くせかんのん)。脇侍に四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)。聖徳太子が物部守屋との戦いに勝利するため、白膠木(ぬるで)で四天王像を刻んで戦勝祈願を行ったとする『日本書紀』推古天皇元年(593 年)条の記述が四天王寺の根源を成す。聖徳太子御真廟は境内東の聖徳太子廟(しょうとくたいしびょう)に祀られ、聖徳太子信仰の中軸を担う。同じ聖徳太子建立寺院として奈良の法隆寺(推古天皇十五年・607 年)と並ぶ古代仏教の双璧を成し、上町台地は聖徳太子の難波宮造営構想の中心地として位置づけられる。
推古天皇元年(593 年)聖徳太子により建立。『日本書紀』推古天皇元年条に「玉造の岸の上に四天王の寺を造る」と記される。当初は摂津国玉造(現大阪市中央区)に建立され、後に現在の上町台地に移転されたとも伝えられる。古代国家鎮護の四天王信仰の総本山として朝廷の庇護を受け、平安期以来「日本仏法最初」を標榜する古寺として尊崇された。中世以降何度も火災・戦災を被ったが、その都度創建当初の四天王寺式伽藍配置を踏襲して再建されてきた。第二次世界大戦の大阪大空襲(昭和二十年・1945 年)でほぼ全堂宇を焼失、戦後昭和三十八年(1963 年)以降に伽藍が再建され、現在に至る。明治以前は天台宗、明治期は天台宗系の独立宗派を経て、昭和二十四年(1949 年)に和宗総本山として宗派的に独立した。
4 月 22 日の聖霊会(しょうりょうえ、聖徳太子忌日、四天王寺最大の法要、国指定重要無形民俗文化財)、舞楽(ぶがく、四天王寺独自の古代雅楽、国指定重要無形民俗文化財)の奉納が広く知られる。2 月 3 日の節分会、8 月の盂蘭盆会、10 月 22 日の経供養(きょうくよう)も継承される。四天王寺舞楽は奈良の春日大社・大阪住吉大社の舞楽と並ぶ古代日本の宮廷音楽の伝統を伝える。
四天王寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
四天王寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
四天王寺 公式・公的由緒資料
四天王寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
四天王寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
四天王寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q339859 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA四天王寺 地域資料・百科資料
二次資料四天王寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。